音楽を聞いたり、テレビを見たり普通の一般的な人ならそのあたりのことは日常的に行っているのではないでしょうか。
音楽というコンテンツを聞いたり、テレビというコンテンツを聞いたり、最近ならウェブというコンテンツを見たり、YouTubeで動画を見たりと誰かが作ったコンテンツを見るということは非常に面白いですね。
コンテンツを見るということは、考え方を考えれば、誰かが作成したコンテンツを消費しているにしか過ぎません。
コンテンツを消費するというのは言い方悪いですが、消費しているだけで、それを見たところで、何かを生み出すということはその時点ではないわけです。
そのコンテンツから考えさせられて、今後自分自身のコンテンツ作成意欲や他への流用や考え方の転用ということはあるかもしれませんが、コンテンツを消費するという考え方がいいのか悪いのかわかりませんが、誰かの考え方を見るや聞くということは普通によくあることかと思います。
コンテンツは消費されるものになる
コンテンツを作成している人は意図は関係ないとしてコンテンツというものは消費されるためにあるのではないでしょうか。
コンテンツを消費する。消費されるコンテンツを作成するということで、コンテンツ作成者側の意図及びコンテンツを見る、聞く側の意図がぴったりくるわけです。
コンテンツを消費するということ自体考え方としてはある意味ネガティブな考え方なのかもしれません。
それでも基本的にコンテンツとは誰かに見てもらうために存在するわけです。
コンテンツを消費するという考えのもとコンテンツを作成している人は少ないと思いますが、コンテンツを消費する側とコンテンツを作成する側というものはいるわけです。
例えばゲームなんかもそうです。
ゲームを作る人、ゲームで楽しむ人
この2つのタイプの人がいるわけですね。
結果的にゲームを作る人が儲かるわけです。ゲームをやる人は対価を払ってゲームをするわけです。
結果的にコンテンツを提供する側と提供される側にわかれるのです。
コンテンツは作成とコンテンツ消費は1:多の関係
基本的にコンテンツを作成する側の人というのは複数の人に提供する可能性が非常に高いわけです。
コンテンツを作成する側の人は1人の人にコンテンツを配布する可能性は低いのです。
当然ながらその人仕様の何かを作成する場合は別ですが・・・
コンテンツを作成作成する側の配慮としては多数の人に見てもらう、聞いてもらうということを配慮する必要があると思います。
当然ながら作成する側も人間なので、こだわりはあるかと思いますが・・・
そのこだわりに賛同する人に見てもらうという大義名分はあるわけですね。
このようにコンテンツを作成する側の人に関していえば、コンテンツをいかに大勢の人に見てもらうか自分が作ったコンテンツをたくさんの人に見てもらうように努力をするかということが大事になってくると思います。
今のところなかなかコンテンツを作成する側の人に出会うことは少ないと思いますが、コンテンツを作成する側の人になってみると結構コンテンツを作成する側の人に出会えることも多いです。
100人いて100人がコンテンツを作成する側に回ることはまずありませんが、本業でも何かを作成するサービスを提供する側に回ることはありえると思います。
そういうことを通じて、コンテンツを作成する側の気持ちに立つことも大事かと思いますね。コンテンツ制作ということは、それだけクリエイティブなことをすることは非常に面白くて、お金になることだと思います。